1 昔話

 昔,プールの北側には東西に延びる「長屋」様の建物が1棟あり,その西端に「応援団室」が存在していた.通称「団室」は,リーダーのみが入室できる場所であり,新リーダーが選出された後,電気による照明を消して旧リーダーがランタンなどの乏しい光の中で引継式的な激励と新リーダーの所信表明などが行われていた.先輩たちが団室に来なくなって自分たちの代だなと思える時期が来てからは,練習後,夜遅くまで仲間たちと語り合ったものだった.

2 多分端境期

 自分たちの代ころにも変革はあり,おそらく,自分たちの代から,いわゆる昔ながらの蛮カラ応援団リーダーの変革の変遷が始まったのではないかと思われる.自分たちの代より,一代前(直近の先輩)までは,リーダーに当選すると部活を辞めてリーダー活動に専念する体制だった.
 自分は,中学では○○をやっていたが,○○が好きだったので水高では○○部に入っていた.他のリーダーは,○○部(運動部)が2人,○○部(運動部)が2人,○○同好会(文化部)1人,○○部(文化部)1人,○○部(文化部)1人,○○部(運動部)1人,あと1人は何部か忘れたものの,当時,部活を辞めてリーダー活動をするのは,如何か?との声があり,半数が,部活を続けながらリーダー活動をし,半数は部活を辞めてリーダー活動に専念した.
 いい加減な奴に応援を仕切られたくないとの思いがあったのだと思うのだが,リーダーになるのは,結構,みんなに信頼されなければなれなかった面もあり(私についてはかなり適当な男だったのだが),部活の中でも戦力になるか,部内で信頼される者がリーダーになって部を辞めるのはおかしいのではないか?との潮流の中での初の試みだったと思うが,リーダーと部活は両立できないのかとの論調が教諭側からも高まっていた.その流れの中で,定時の立候補者が10人中5人で,その者たちが部活を辞めてリーダーになり,以後,やや遅れて部活を続けながらリーダー活動をしていく者5人が選ばれたという時代だった.送ればせ立候補の者は,半ば否応なく部活とリーダー活動を続けることを使命として選出された者たちだった.自分は,入学当時から,リーダーになりたい気もあったが,なんだか,リーダーの立場が難しいものになっちゃってるなということで立候補することに二の足を踏んだ.
 結局,自分については,○○部に籍を置き続けながらリーダー活動をした.文化部ということもあって,日ごろはリーダーの練習を懸命に行った.他の部活継続連中も,極力,リーダーの練習に参加し,休みの日には午前試合,午後リーダーの練習なんてハードスケジュールをこなしていた

3 服に重きはあまりないのではないか

 ちなみに,制服は,まあまあボロだったが,極端にボロいものをまとわなくてもいいじゃないか,蛮カラの応援のそのまた昔は普通の制服で応援していた(らしい)ので,目を背けたくなるような衣類を着用する必要もないではないかとの声もあり,当時は伝統の学ランというものも特になく,自分は,ずっと着続けていた学ランの裏地を取ってタクトを振りやすいようにしたものを着ていた(先輩から後輩へ譲渡というのはあったけれど,これを着ろというものはなかった.).もっとも,豊かな時代から見れば色はあせているしクタクタだったろうけれど.帽子については,つばを本革の少し長目のものに改造していたけれど.ボロボロをまとっていたのは,1人だったかな.あとは,つぶらな瞳を応援歌練習の際,下級生に気づかれないようにつばを改造している者が若干名いたけれど,質素な身なりだけれど,一応普通の格好でやっている者9名というところだった.