クラスマッチ(特)

 現在では行事の再編(予餞会廃止・飛龍祭を毎年行う)などがあってこの時期に行われているようですが,わたしが現役の頃は夏休み終了直後に行われる行事でした.しかし、私が3年生の年は3年に1度の飛龍祭が行われる年だったために,夏休み前に前倒しされて行われました.結局飛龍祭が校舎改築(かなり以前から決まっていた模様)のために行われず、高校野球を控えていた野球部の3年生からは「思う存分できなかった」など後々不満が出る結果となったわけです・・・学校経営の失敗の一例を見たような気がします。
  行われる種目は,バスケ・バレー・ハンド・軟式テニス・卓球・ソフト・ラグビー(男子のみ)・ドッジボール(女子のみ)・サッカー(男子のみ)と多種多様な種目があります.チーム編成は2クラスで1チームで,同学年内から抽選でカップリングが決まります.ただ,1学年が7クラスのために,3年で余ったクラスは2年の余りのクラスと組むことになります.高校生ともなると学年間での実力差はたいして無いので,種目によっては1年生や2年生チームが優勝することもあります.それでも1年の1クラスが余るわけですが・・・このクラスは教員チームに組み入れられます.この教員チームがなかなかの曲者で毎年生徒達を悩ませます.その筋の達人がいたり,言葉による恫喝・恐喝(?)を行ったりで毎年台風の目となります.その上,最近は教育実習期間と同期間に行われるらしく,教育実習生はクラスマッチをやりに行っているような気も・・・
  ルールはその種目の公式ルールに準じて行われますが,自分の部活と種目が同じ場合には出場できません.ただし,このルールには抜け道的な部分があり,サッカーのFC(クラブチーム)に所属している人間は出場できたりもします.あとは種目毎に若干の修正を加え運営されていきます.
 多くの種目を掛け持ちしたり,運営に専念したり(生徒会・体育委員会),サボったりと様々な人間に支えられクラスマッチは盛り上がっていきます.特にも3年生は暴れられる最後の行事ということで八面六臂の活躍を見せます.その上,教員チームとの戦いでは日頃の恨み感謝の気持ちを込めて精一杯戦います.


夏季高校野球

内容が多いので別なページを用意しました.左のフレームの夏季高校野球をクリックしてください.


終業式

 暑いために早く終われと念じるばかりの終業式です.校長先生がマナーだからということで背広をビシッと着たまま終業式に臨まれていたのには感服した記憶があります.


B講座

 毎年恒例のB講座です.内容は単純で,国・数・英を教科担当と違う先生から教わります.先生が替わることで理解度が増したり,その逆に・・・となることを狙っているのでしょうか.


定期演奏会



  年に1度の吹奏楽部の晴れ舞台です.Zホールが落成してからは毎年ここの大ホールで行われているようです.ホールの賃貸料などの諸経費は定期演奏会のパンフレット内の広告代とチケット代で賄い,スポンサー探しを吹奏楽部員が行うという商魂逞しい(?)イベントです.そのおかげか,私が3年生の時に見た限りではホールは満員でした.
 この定期演奏会で応援団リーダーが寸劇をやるのが伝統になっているらしく,私達の代も大観衆の前で笑いを取るべくして出演したわけです.寸劇の詳細な内容は忘れましたが,タイムスリップした原始時代に登場する原始人役だったような気がします.そこで団長が作文を読んだり私が洒落を言ったりで,観衆のウケは良かったような気がします.ただ,リハーサルを前日に1度やっただけだったので,ほとんどアドリブで辛い部分もあったような気が・・・
  写真は寸劇の最中ではなく,ビートルズの『Let it be』の演奏中に子連れ狼風に登場した団長とMです.Mにリコーダーで『Let it be』をやって欲しいという話を前日に言い渡され(企画を立てた人は別にいます),一晩でキッチリ完成させてきたという逸話を示す写真です.台車に乗っていくという発想は・・・登場の少し前にステージの脇にあった台車を見て思い付いたそうです.


任期最終日


  これは行事ではないのですが書いておきたいと思います.任期最終日は夏休み中の7/31です.それ以前から最終日は色々やろうという話が出ていたのですが・・・私達の任期最終日は代ゼミのマーク模試と同日という悲運に見舞われてしまいました(4月時点で決まっていたようですが).そこで私達がとった行動は・・・あまり大っぴらに書けることではありませんが・・・6人全員で模試をサボりました.このことについての後日談として日時の記憶が曖昧ではありますが,当日の夕方か翌日に怒られるのを覚悟で解答だけを取りに行ったところ,ある先生がサボったことには何も触れずに「よく復習しておくように」とだけ言ってくれたのが非常に印象的でした.
 そんなことがありながらも,計画通りお世話になった方々への挨拶に出発したわけです.記憶にある分では,胆江日日新聞社(翌日の記事になっていました)や下駄屋さんなど水沢の市街地を中心に回りました.学校に帰ってきてからは,生徒会誌『みずこう』に載せる写真の撮影を行ったり,校歌や応援歌を歌ったりして最終日を楽しんでいました.
 私達の代では次代が既に立候補していて養成を控えるのみとなっていたので,比較的楽な気分で最終日に臨めたと思います.ただ,例年通りだとこんなに早く立候補者が出ることはなく,総務委員会や2年生のリーダー選のための話し合いに出席するなど気を揉む生活が続いていたのかもしれません.